ミュージカル振付師 マイケル・ベネットの生涯
ミュージカル振付師 マイケル・ベネットの生涯
マイケル・ベネット、伝説的な振付師であり、稀代のヒット作である『コーラス・ライン』の生みの親でもあります。
今回は、このマイケル・ベネットの振付師としての生涯についてご紹介いたします。
マイケルは振付師としてはもちろんですが、他にも演出家、作家、ダンサーとしても活躍していました。
彼は1943年4月8日にアメリカのニューヨークで生まれました。彼の母親は秘書であり、父親は工場労働者であったので、ダンスとはかけ離れた家系でしたが、幼少期からジャズダンス、タップダンス、クラシックバレエを学んでいたそうです。高校生のころには地元の高校でショーに出演し、その後ウエストサイドストーリーツアーでベイビージョンのキャストに選ばれたことが転機となり、16歳にて学校を中退することとなり、プロの世界へと飛び込むこととなりました。
彼が20代のころにはブロードウェイでダンサーとして華々しく活躍することとなり、1961年の『地下鉄は眠りにつく』、『Here’s Love』に出演しました。また、20代半ばにはゆくゆくは『コーラス・ライン』にて主役のキャストとして活躍する、ドナ・マッケニーとテレビのショーにて出会うことになりました。
彼の振付師としてのキャリアは1966年の『A Joyful Noise』からスタートし、翌年は『ヘンリー・スイート・ヘンリー』の振付を手がけました。しかしながら、これらの作品はあまりいい評判を得ることはできなかったそうです。ただ、作品自体の評判はさておき、トニー賞の振付部門にてノミネートされることとなり、彼の振付師としての才能は世間も認めることとなりました。20代にてトニー賞にてノミネートされたのは、彼以外にあと2人しかいない、とのことです。
さて、彼の代表作である『コーラス・ライン』は1975年に上演されました。もともとは振付師ではなく、オブザーバーとしての参加でしたが、すぐに正式に担当することとなりました。振り付けだけでなく、原案や演出も手掛けました。その中で、作曲はマーヴィン・ハムリッシュが担当し、これはマイケルが「何もかもを捨ててニューヨークへ来てくれないか」と熱烈なラブコールで説得したとのことです。マイケルはダンサーのための物語である『コーラス・ライン』を既存のアメリカン・ミュージカルの枠組みを超えた作品にしたかったため、作曲はマーヴィンしかいない、と考えたそうです。
『コーラス・ライン』はブロードウェイがテーマであり、新作ミュージカルのコーラスダンサーを選考する場面で、演出家のザックがダンサーに「履歴書に書いてないことを話してもらおう。」と語りかけ、ダンサー一人一人が自分の人生を語り始めるといったあらすじですが、この作品が生まれるきっかけは。ウォーターゲート事件にありました。この頃のアメリカは虚無と無気力が支配する世相であり、その反発心からこの作品がつくられました。舞台の上で人々が自分の気持ちを正直にさらけ出している姿を見せたいと思ったといいます。
結果、『コーラス・ライン』は9つのトニー賞と、翌年1976年にはピューリッツァー賞を受賞することとなりました。また、彼は他にも『フォーリーズ』『シーソー』『ボールルーム』『ドリームガールズ』の4つで『コーラス・ライン』も合わせて5回連続でトニー賞の振付賞を受賞するという快挙を達成しました。
また、彼のダンスシーンの演出は、ダンサーの構成の複雑さが評価されています。物語や曲調に合わせた構成は彼独特のセンスによってつくられており、振り付けによって表現するのではなく、構成でパフォーマンスを盛り上げることが特徴とされていました。特に『コーラス・ライン』は舞台上に大道具などもないシンプルなステージで、ダンサーもレオタードというシンプルな衣装の中で、観客の心に響く演出を手掛けたとのことで、非常に高く評価されました。
また、彼のもう一つの代表作、『ドリームガールズ』についても触れていきたいと思います。この作品も彼が原案、振り付け、演出を手掛け、1981年にインペリアル・シアターにて幕開けとなりました。翌年にはトニー賞13部門にノミネートされ、結果的に6部門の受賞となり、また1985年まで、1522回におよぶ4年間のロングラン公演を記録することとなりました。シカゴの若い女性たちがスーパースターになっていく過程を描く内容が高く評価され、全米ツアーも組まれることとなりました。
その後、彼は、残念ながら44歳で若くして世を去ることとなりましたが、『コーラス・ライン』を手掛けた際に、日本の記者がマイケルに「今後もし踊れなくなったらどうしますか?」と尋ねたときに、彼は「そのときには振り付けもやめます。それでいいのです。なぜなら、そのときには素晴らしくそして新しい素質が次々と現れるでしょうから。」と語ったそうで、彼は彼の次の世代へと希望を託していくという考えがあったそうです。
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